病のギフト
病を得るという言葉があるように
発病までの数年間、気付きの連続だった。
その気付きはどんどん私を
〝私〟にしてく
鎧をおろすように
どんどん私は私になっていく。
ひとつの骨がずれると
他の骨もずれるように
少しずつ歪んだ意識がトラウマが浮き上がって来た。
私は今の仕事、いわゆるスピリチュアルな仕事で
そういう人に見えない言われると
とても嬉しかった。
その意識の裏側にあったのは
シンガー時代のトラウマだったことに気付いた。
私は見た目が
もの凄く歌が上手そうな人だった
ステージに上がって
みんなの期待が膨れ上がり
いつもそれを超えられない自分がいた。
その期待は私の体質では事細かに感じとれ
それは科学的なデータのように見えるのだ。
その落差を心では自分は歌が下手なんだと思い込むように意識が刷り込まれた。
挫折というトラウマだ。
そして、現在の意識
上手くできそうにない人に見せていた方が
意識が楽だったのだ。
期待されない人の方が楽だった。
だから
スピリチュアルでない人をある意味
少し装っていた部分もあったのだと感じた。
そしてその繋がりが見えた途端
シュワシュワと泡のように
そのような意識が成仏した。
天に帰っていったのだ。
そうしたら、私は歌が下手なんかじゃなかったんだと気付いた。
そして私の見えている人とは違う世界が
宝物のように感じた。
そう、もう堂々と
私が存在した。
もちろん、私の趣味であるファッションは変わらないし
たぶん、みんなが思うスピリチュアルな人とはこれからも違うと思う。
見せかせで装うのはたいがい偽物だ。
ただ、スピリチュアルという枠はもう必要なくて
私が感じたことを
感じたままに生き
それを表現し
目の前の人や物や時間をただ愛したい。
そのやり方が、外からみれば
スピリチュアルに見えるってだけ
私は変わらない。
だから私は私だし
そういう私に戻してくれた
病気はただその切符だった。
そしてどんな苦難も気付きがあって
その全てを
あなたがあなたで在るように
魂が納得いくようにする方法を
私は知っている。
だから持っているあらゆる手段を放ちたい。
そう、思っている。
0コメント