個の目覚めと突然変異

さて、個の話しを続けよう。ここからみた人は『真似するということ』の記事から読んでね。

まあ、今日は単純に自分の話しなので興味ない人はスルーしてね。

私自身もいくつかの枠という植木鉢の中に入り
自分の〝個〟を目覚めさてきた。
〝個〟が芽生えようやく、自分自身ひとりで歩き出すわけだ。
表現者の誕生だよね。

そうやって私自身も長いこと生きていると
今度は自分自身が星となり植木鉢を提供する側になる
そうやって学びは巡っている
ありがたいことに。
そうして十年余り、、、
ある日突然、降りてきたのだ。
それは私が作り始めた〝オブジェ〟という形。
ビジョンが降りてきてからはとても早かった
そう、オブジェは誰かの星を追うものではなく
全くの〝0〟から誕生したものだ。
私はあの時歓喜した。
だれの発想でもない自分だけの完全オリジナルの創作ができるなんて
ずっと、そこを追い求めていた気がする。
だれもやっていない未開の地へ
探求の旅へ出られるのだ。
これは自分の発想だから、完全に独学で
だれにも教えてもらうことなく
自分だけで作り上げたもの。

それは今思えば、ずっと学び続けた
ご褒美という突然変異だったのかもしれない。
おかげさまで作品展を2年連続で開催させていただいた。

しかし、その直後道は途絶えた
病気になってしまったのだ。
オブジェはアトランティスと繋がり続けるので
なかなかのトランスワーク。
今もなお、制作はできていない。

生まれてきて最も喜びに満ちた制作を
あっけなく奪われてしまった。

悔しくもなったし、悲しくもなった。
だけど、何度だって
そうこれまでに何度だって困難はあったし
その都度、乗り越えられたから
わたしはいつかまた作れると信じてる。

そしてこれは与えられた学びの時間なのだ。
制作できていない時間は
いつかできる、制作のための時間だったと思うに違いない。
今わたしはきっと
わたしが作った植木鉢の中で土を作っているのだ。

そしてリハビリになればと、ドライフラワーのアレンジを習い始めた。
学びとは、わからないということは
なんと素晴らしく楽しいのだろう。
そして人の植木鉢の中で学べる有り難さを痛感する。
私はドライフラワーアレンジのプロを目指して学んでいるのではない。
自然の声を生かすアレンジをする師の視点を学びたい。そしてそこから芽生える自分の芽は枠を持たない自分の作品に還元されるはずだ。まだまだそれは遠いけれども、どんな化学変化が起こるかと今からわくわくしている。

さらに今この時間は自分の好きを掘り下げ学ぶ時間。
アンティークのものもどんどん掘り下げて
自分でも恐ろしいほどの知識を広げている。笑

そう、今は無駄ではない。
いつか今わたしが吸収しているすべての点が
星となり繋がって人生の大きなビジョンと共に
自分の星と星をなぞって
自分の星座が見てみたい。
そんな50代になれたらなんて楽しいだろう。
きっとできる
わたしは信じている。

苦しみは進化のために。

わたしは夢を描いて
必ずいつか現実にする。

進化した未来の自分を存在させるのは
今の自分だ。
だから全て無駄ではない。
無駄ではないようにするんだ。是が非でも。

そう思って
毎日過ごしています。

愛と感謝を